ひとり言 04

謙虚ということについて


人は皆、人生経験を積めば積むほど、謙虚になるということが如何に大切かということと、謙虚になることがどれだけ難しいかを、思い知らされるのではないのかと思います。


どれだけ謙虚に振舞ったり心がけたりしても、決して謙虚になれるものではないと思います。


建て前上、いくら謙虚に振舞えても、本音のところは、見下していたり、高飛車な人を謙虚な人だなんて、誰も思えないですし感じません。


結局、謙虚というのは、本音の部分の問題であり、建て前の問題では、少しもないのです。


自分は善い人だと思ってる人に、善い人などいたためしがないのと同じように、謙虚に振舞ったり、自分は謙虚だと思ってる人は、結局のところ、全く謙虚ではないのです。


謙虚な行いが出来たとて、謙虚にならない限りは、謙虚とは言えない。だから、謙虚になるということは、難しいのではないでしょうか。            



さて、どうしたら謙虚になれるでしょうか。


人様に対してか、物事に対してか、それとも世間様に対してか、如何なものでしょうか。


私の知る限りにおいては、自らに対して以外には全く考えられません。


もし仮に、「私は世間様に対して、後ろ指を刺されないように、謙虚にやってきた。なのにどうして、こんな仕打ちを受けなくてはならないのか。」と、誰かに相談されたとします。誰でもこんな相談をされたら、困ってしまうのではないでしょうか。


自分が、謙虚になろうとすればするほど、独善的なプライドを積み重ねてしまいます。


独善的なプライドのことを、私は自負と呼んでいます。


自分は駄目人間だと、如何にも謙遜してるつもりで卑下する人がいます。卑下する癖のある人で、あまり気分の善い人に会ったことがありません。


卑下することは、結局独善的なプライドであり、高邁に自慢することと、何らかわりがないと思うからです


自らに対して、どれだけ自分が謙虚になれるか、謙虚になればなるほど、より自らを尊ぶことになるのです。


そういう独尊的なプライドのことを、私は自尊と呼んで、自負とは、はっきり区別しています。


独善は、独りよがりであり、反感や反発をかってしまい、責めといさかいを生んでしまいます。


また、独尊は、自分というものが、小さく感じられる状態であるので、共感や共鳴を促し、赦しと共存を育みます。



では実際に、より謙虚になってゆかないとどうなるでしょう。                つづく   





     


ひとり言 03

魂の教育


最近のニュースを見てますと、社会保険庁の問題やら、原発の問題、教師が痴漢しただの、警察官が泥棒しただの、何ともやりきれないような事件ばかりが、目に飛び込んできます。


「公務員魂をみせてみろ」、「教育者魂をみせてみろ」、「警察官魂をみせてみろ」、「大人としてのプライドは?」などと、怒鳴りたくなってしまいます。



昭和22年にGHQ監修のもと、教育基本法が制定され、23年に施行され、今日まで至って来ました。


特攻隊魂みたいなものが教育にあったのでは問題だと判断したGHQは、魂の教育をさせないように監修したわけです。


戦後の教育を受けてきた私たちは、思想・宗教・哲学は、全くと言ってよいほど学んでいません。また、情操教育も稚拙レベルを超えては学んでこなかったはずです。



今年、教育基本法が改正されました。中味がどういったものかはわかりませんが、仏造って、魂入れずでは、何ら改正したとは言えないと思います。


また、魂の教育が問われているのは、子供ではなく、むしろ私たち大人の方なのではないのかと、私は痛感しています。




ひとり言 02

損得の得と、尊徳の得。


自分の感覚感性において、自分が得をすれば、他を損ねてしまう。また逆に、傍に得されると、自分が損してしまいます。


また、お金というのは、得するほうから損するほうに出て行くように、基本的にはなっています。


そこで世知辛い損得勘定なんていう、不条理な感覚が横行するのではないのかと私は思います。


そこで自らという感覚感性においては、どうでしょうか。


自らにおいて、自分が得することは、傍を得した気分にさせてしまいます。自分も含め誰も損した気分にはなりません。


そうした得を徳と言います。


自分が得した気分になるのに、傍を得した気分にさせてしまうので、お金というのも出て行くどころか、自ずと入ってくるわけです。


それが出来るのが、本当のプロと言えるのではないでしょうか。


アマチュアは、お金を出して歌をうたい、プロは、お金を頂いて歌をうたう。当然、そのスキルは全く違うと思います。


自分を尊ぶのではなく、自らを尊ばずして徳という得は実現しないはずです。


徳を得るには、自らという感覚感性を切り開く以外に道はないと、私は思います。




ひとり言 01

自分を信じることなかれ、自らを疑うことなかれ。


これってうちの生徒の方達ならすぐ解かる事なのですが、解からない方には、何のことやら全く解からないだろうな、と思います。


自らという感覚・感性を今ここで説明するのは、ちょっとかったるいです。


気が向いたら説明させて頂こうかと思います。


ひとり言 00

ブログを始めました。


気ままに、更新しようと思っております。


まあ、ぼちぼち適当にやらせてもらおうと思います。